老老介護から認認介護にならないために

シルバー夫婦で介護しながら楽しく生活する工夫をしていきたい。

お薬の管理:複数の処方箋

母のもらっているお薬は、常用薬が7種類。
他に緊急用にもらっているお薬が5種類ある。
常用薬のうち、2種類は胃腸薬なので必要なお薬は5種類である。
その5種類の薬の1種類は、心臓を安定させる貼り薬なので飲み薬としては、4種類になる。

これでも、我々が同居してから試行錯誤して少なくなった方である。
それ以前、母は、3箇所以上の医院や病院に掛かっていて、それぞれからお薬が出ていて10種類以上飲んでいたようです。

同居前になるが、あまり痛がるので、医師の勧めで右膝を人口関節にする手術を受けています。左膝も同じく手術が必要と言われていましたが、右膝の手術で懲りたのか、もういやだと手術を拒否、リハビリも痛がってマトモにしなかったので、変に固まってしまい、杖無しでは、歩けなくなってしまって、外出をだんだん嫌がるようになってしまったようだ。

我々と同居してから、バランスの良くて塩分控えめの食事で体調は回復してきたと思ったのですが、膝と股関節の軟骨の欠乏や摩耗でいつも痛がっていたため外科できつい痛み止めを貰っていたようで、ネフローゼ症状で緊急入院、そのため、お薬もだいぶ減らされて9種類まで減った。
ただし、母が自分で管理していたときは、飲み方もきちんと飲んでいるわけでなく、痛み止めの薬と睡眠薬を優先して飲んでいたようで、貰った薬の残りの数にバラツキがあり、処方されたもので、あまり飲んでいない薬もあったようです。
これはイカンと思って、薬の管理を私がするようにするというと、最初は嫌がっていた母も、なんとか従うようになった。

 

介護の公的支援

我が家を訪問してくれる公的支援の人たちは、居宅介護支援事業所のケアマネージャーさん、介護センターの介護師さん、そして往診してくださるお医者さんの3人です。
ケアマネージャーさんとお医者さんがそれぞれ月1回30分程度、介護師さんが月1回1時間ほど我が家を訪問してそれぞれの職務をはたして帰ります。

 

ケアマネージャーさんの能力で介護の良し悪しが決まるとまで言われていますが、我が家の場合、物理的な介護は、夫婦で全部やっているので往診のお医者さんを除いて、ケアマネージャーさんと介護師さんは、今のところ母と妻の話し相手であり、特にケアマネージャーさんは、妻の相談や話し相手になってくれていて疑問等の解消やアドバイスをもらっているので、ストレス解消の一助などになっているのかもしれない。

 

最近、我が家に近いところに居宅介護支援事業所(今までと同じグループ経営)が新規オープンして、我が家担当のケアマネージャーさんがそちらに移ったので、母の支援先も新規のところになった。ただし、まだ規模が小さいので、夜間緊急時は、元の事業所が担当するということなので、我が家の緊急連絡先の一覧表を書き換えた。

余談だが、一覧表を印刷するとき、妻の目が悪くなってきて読めないというので、字を大きく見やすいようにして電話の横に貼り付けた。

 

我が家の訪問介護師さんは、最初の人が、自分の両親の介護のために仕事を辞めた。二人目の人は、結婚して、ご主人の居住地の介護センターに転職することになり、今3人目の若い介護師さんが来るようになった。

 

本当のところは、母がデイサービスに行ってくれれば我々夫婦の息抜きが出来るのだが、一度見学に連れて行って大丈夫そうだったので、さあ、利用開始と思って送り出したら、2時間もしないうちに戻ってきて、二度と行かないと宣言されてしまった。

やれやれ!

公的介護支援を受けました。

2005年に母の様子を見に来た従姉の紹介があって従姉の知り合いの人が経営する居宅介護支援事業所を紹介してもらった。その事業所の担当者がすぐに我が家にみえて介護支援について説明を受けた。そのときの母の介護度は要支援2に該当するということで、手続きその他の申請なども含めて初めて居宅介護支援事業所と契約を交わしました。
そのサービス内容は、契約書の中の第1条(契約の目的)に書いてあったので、それを転載します。

第1条(契約の目的)
事業者は、介護保険に関する法令の趣旨にしたがい、公正中立な立場から、利用者が可能な限り居宅においてその有する能力に応じ自立した日常生活を営むことができるよう居宅サービス計画を作成するとともに、指定居宅サービス等の提供が確保されるようサービス提供事業者との連絡調整その他便宜を図ります。
(契約書より抜粋)


従姉の紹介だったけれど、個人経営の限界?なのか、母の掛かり付けの病院の医師との繋がりも弱く、特に役立ったという記憶は無かったが、公的な機関ということで、2年ほどお世話になったと、記憶しています。月に1度ヘルパーさんが訪問して母とおしゃべりをしてお茶を飲んで帰るだけでしたが。


その頃の母は、足が悪くても、まだ、軽く介助するだけで外に出れたので、趣味のサークルに参加したり、仲良しの友人宅を訪ねたり、向こうも訪ねてきたりと、外向きだったので、私が車でアッシーしてました。その頃の私は、会社の監査役に就いていて、出張時以外は、自宅と会社までは、車で15分ほどだし、比較的時間の自由が効いたので、運転手兼介助役をさせられて?いました。

要介護

母の現在の介護度は要介護1に認定されている。
要介護1になってから途中要介護2になったが、また要介護1にもどった。
判定の基準が厳しくなったからということであった。

 

市の介護認定の担当者の話では、要介護1であって要介護2になれない理由は、トイレに介助無しで自分でいけるからということらしい。
這ってでも時間がかかってもトイレに一人で行ければ要介護1なんだそうだ。

 

要介護に認定されたときに比べて格段に体力が落ちて移動が困難になっているが、そういった状況は考慮されないという。

 

要介護が上がらないのは、悦ぶべきなんだろうけれど、少しづつ弱っていく母の体力に複雑な心境になるのは私だけなのか?

わが町姫路と我が家

わが町は、国宝姫路城で有名な、姫路市です。
我が家は、姫路城まで歩いて10分ほどのところにあります。
10分ほどと言っても、妻と二人で歩くと15分ほどかかります。
私の歩行速度は、早い方で、妻は遅い方だと思います。
二人で歩くと、遅い方のペースに合わせるので時間がかかってしまいます。
お城の北側の公園(シロトピア記念公園)にある図書館は、二人が好く行っていた目的地です。
最近は、母の介護で出かけられなくなってしまいましたが。

我が家は、100歳近い母と、その面倒を看ているシルバー夫婦(私と妻)の3人で生活しています。
母は、足腰が、相当弱っていますが、自分の部屋とトイレ間は、歩行器で移動しています。それが、彼女の運動の全てです。
母の居間や応接室、座敷等の部屋への移動は、一年ほど前から車椅子を利用しています。そうしないと、自室に閉じこもった状態になってしまうからです。
本当のところは、車椅子で外出できれば、我々夫婦も一緒に散歩ができるから車椅子を準備したのですが、今のところ成功していません。母は、車椅子で外に出るのに抵抗があるようです。
毎年桜の満開時は、母は、車でお城の周りを回って桜を愛でるのだけは嫌がりません。今年も車の助手席に乗ってご満悦でした。車の後部に車椅子を積んでいくのですが、車から降りようとしませんでした。車椅子ならもっと、近くで桜を楽しめるのにと思うのですが、母のプライドが許さないようです。
まあ、仕方ないか!